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東京地方裁判所 平成7年(行ウ)107号 判決

原告

小川雄正

右訴訟代理人弁護士

安部井上

上柳敏郎

玉木一成

岡村親宜

安藤朝規

被告

品川労働基準監督署長工藤幸宏

右指定代理人

畑中孔二

大塚明宏

被告

東京労働者災害補償保険審査官常光英照

右両名指定代理人

日景聡

白井ときわ

新井一夫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告品川労働基準監督署長(以下「被告労基署長」という。)が原告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、平成二年三月三一日付けでした障害補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を取り消す。

二  被告東京労働者災害補償保険審査官(以下「被告審査官」という。)が原告に対し、労災保険法に基づき、平成七年三月七日付けでした審査請求を棄却する旨の決定(以下「本件決定」という。)を取り消す。

第二事案の概要

本件は、電気絶縁材料等の卸販売を業とする事業主の営業課長であった原告が、昭和六二年三月二八日、勤務中に右中大脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症したのは、業務に起因すると主張して、労災保険法に基づき、被告労基署長に対して障害補償給付の支給を請求したが、本件処分がされ、被告審査官に対して審査請求をしたが、本件決定がされたため、本件処分及び本件決定の取消しを求めている事案である。

一  前提事実

以下の事実は、当事者間に争いがないか又は括弧内記載の証拠及び弁論の全趣旨によって認めることができる。

1  原告(昭和八年一二月二一日生)は、昭和五五年四月、電気絶縁材料等の卸販売を業とする三和永大株式会社(東京都品川区所在。以下「会社」という。)に営業担当社員として雇用され、昭和五七年四月以降第二営業課長として勤務していた。

2  原告は、昭和六二年(以下、特に断らない限り昭和六二年を指す。)三月二八日午後六時過ぎころ、会社代表者清水健司(以下「代表者」という。)に対して前日の長野県への出張結果を報告中、右中大脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症した(以下「本件発症」という。)。

3  原告は、本件発症は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき、被告労基署長に対して障害補償給付の支給を請求したが、被告労基署長は、平成二年三月三一日付けで本件処分をした。原告は、これを不服として、同年五月一五日、被告審査官に対して審査請求をしたが、平成七年三月七日付けで本件決定がされ、同月三一日、労働保険審査会に対して再審査請求をした。

二  主たる争点

1  本件発症の業務起因性の有無

2  本件決定の固有の瑕疵の有無

三  当事者の主張の要旨

1  争点1(本件発症の業務起因性の有無)について

(一) 原告

本件発症は業務に起因するものである。その理由は次に述べるとおりである。

(1) 本件発症に至る経緯等

ア(営業課長就任以前の原告の健康状態)

原告は、中学、高校、大学を通して野球部で活躍したスポーツマンであり、昭和五〇年ころから昭和五七年四月に営業課長に就任するまでの間、東京都中野区立北中野中学校の野球部監督として日曜・祭日には遠征試合等に飛び回るなど、健康そのものであった。血圧も、昭和五五年八月に一二八/九四、昭和五六年一〇月に一二八/九二であり、最小血圧値が境界域の数値ではあったが、高血圧域にはなかった。

イ(営業課長就任後の原告の業務と健康状態)

原告は、本件発症までの約五年間、営業課長として勤務していたが、その業務は、売上げのノルマを達成しなければならないというプレッシャーの下で、最大積載量四〇〇キログラムの営業車に商品を満載して、東京都西部、埼玉県及び長野県の得意先に赴き、受注・納品・集金の営業活動を展開するというものであった(ルートセールス)。原告は、休日を除いてほぼ毎日、午前六時三〇分ないし七時二〇分に自宅を出て電車で約七〇分かけて会社に出勤し、午前八時三〇分の朝礼に出て、営業車に積載された商品と伝票を確認し、午前九時には会社を出発し、営業車を運転して得意先に行き、そこで数分ないし三〇分程度滞在するほかは、午後六時ないし八時ころ帰社するまで、八時間以上の長時間にわたり、一五〇キロメートル以上に及ぶ長距離を走行しており、商品の積み込み、積み卸しも含め、肉体的な負担は大きかった。帰社後も、留守中に受けた注文伝票の整理、製作伝票や見積書の作成などの業務を行い、午後七時三〇分ないし九時三〇分ころ退社して午後八時四〇分ないし一〇時四〇分ころ帰宅するのが常態となっており(ただし、長野県内の得意先回りが一か月に一、二回の割合であり、その場合は当地で一泊していた。)、帰社後にすべき業務を時間内にこなすことができない場合は、注文伝票等を持ち帰り、自宅でその作業を行っていた。

また、原告は、自らのルートセールスの業務に加えて、営業課長として、部下の営業課員にもノルマを達成させなければならないというプレッシャーの下で、毎月六ないし八回、部下の担当する重要な取引先との交渉や、メーカーの要請による売り込みなどのために、部下とともにその担当地域を回ったり、退職者が生じた場合(そのような場合が大変多かった。)、その者の担当する得意先を他の営業課員に割り当てる作業を行わなければならなかった。

このため、原告は、昭和五七年四月に営業課長に就任して以降、恒常的な休養不足・睡眠不足の状態となり、昭和六〇年二月二日に血圧が一九〇/一〇四を記録し、それ以降降圧剤を服用して高血圧症の治療をしてきたが、風邪などの身体不安が加わると血圧が急上昇し、昭和六一年七月九日には、一五〇/一〇〇を記録して高血圧状態に増悪していた。

ウ(本件発症前約一か月間の原告の業務)

原告は、昭和六二年二月末か又は三月初めころ、代表者から、原告の担当先である株式会社エー・アイ・エヌ(長野県諏訪市所在。以下「AIN社」という。)に対する取引停止の通告と同社からの債権回収を、決算期である三月末までに行うよう命じられた。これに対し、原告は、そのような事態を招いた責任は、株式会社シナトク(長野県上伊那郡箕輪町所在。以下「シナトク」という。)との取引をAIN社を通じて行うこと(架空取引)及び支払サイトを一三〇日とする約束手形による決済を了承した代表者にあり、代表者自ら事態の収拾に当たるべきなのに、これを原告に押しつけたこと、また、代表者がAIN社からの商品の注文とその督促に対してまともな対応をせず、知らんぷりをして無視したことに不満を抱き、この問題をめぐって代表者との間で確執が生じた。

原告は、代表者からの右命令を受けて、三月二七日に長野県に行くことを決意したものの、その前日の同月二六日は、午後一〇時半ころ帰宅し、疲れて風呂にも入らずに布団に入るような疲労困憊状態であり、翌二七日朝も、妻が起こしてもすぐには起きず、起きた時はどす黒い顔をしてふだんにない強い頭痛を訴え、ノーシンを飲んだが治まらず、朝食も摂ることができないような状態であった。原告の体調を心配した妻は長野県への出張の中止を勧めたが、原告が「そうはいかない」とあくまで出張すると主張したため、妻は、自分の仕事をキャンセルして、自家用車に原告を乗せて自ら車を運転して長野県へ出かけた。原告は、出発した途端にものすごい高いびきをかいて寝た。妻は諏訪市で車を降り、原告一人でAIN社を訪問し、同社の代表者中西誠(以下「中西」という。)に対し、取引停止の通告と債権回収の話をしたが、その際、原告は表情を引きつらせ、暗くどす黒い顔をしており、憔悴した様子であった。その後、原告は、得意先を三社訪問して帰路に付いたが、頭部に痛みは残っていたものの、自ら車を運転して、午後九時ころ帰宅した。

エ(本件発症当日の原告の業務)

原告は、本件発症当日、「疲れているんだったらやめた方がいいんじゃないの。」という妻の勧めにもかかわらず、「やっぱりそうもいかないから、もし無理なら顔だけ出して帰って来る。」と、これを振り切って出勤し、予定されていた棚卸し作業を行い、前日のAIN社との件を代表者に報告するためにその帰社を待ち、午後六時前後に帰社した代表者に対し、二階事務所の席で、中西に穏便に話をしてきた旨の報告をした。原告は、前記ウのとおり、代表者の対応に不満を抱いていたため、右報告の際、興奮して大きな声を出した。これに対し、代表者は、原告が取引停止の通告をしただけで、債権の回収をしてこなかったことに不満を抱き、債権の回収について「大丈夫ではないですか。」と言う原告に対し、「それはちょっと趣旨が違うんで、もう一度やり直そうよ。」と述べた。原告は、内心「何で自分で向こうの社長に言わないのか。」と不満を抱いていたため、代表者の右の言葉でますます興奮し、代表者の対応を批判する発言をしていたところ、後頭部に激しい痛みを感じて倒れ、本件発症に至った。

オ(脳動脈瘤破裂の機序)

脳動脈瘤破裂の主因は、血圧上昇や血流の乱れなどの血行力学的作用にあるところ、血圧は、精神的・肉体的ストレスや疲労によって上昇し、高血圧症の者や疲労状態にある者の場合は、血圧の変動が起こりやすいといわれている。また、最近では、血行力学的作用に加えて、脳動脈瘤の構造的強度の低下をもたらす血管壁修復作用の低下が脳動脈瘤破裂の重要な因子であることが明らかにされてきており、特に、業務との関係では、疲労や睡眠不足により血管壁修復作用が低下し、それによって脳動脈瘤が破裂するというメカニズムが明らかにされてきている。

(2) 本件発症の業務起因性

(1)で述べたところによれば、本件発症に関しては次のことが明らかである。

ア 営業課長就任以前の原告の健康状態((1)ア)からすると、原告が営業課長に就任した昭和五七年四月の時点では、原告に脳動脈瘤が形成されていて、かつ、それが確たる発症因子がなくても自然経過により発症寸前まで進行していたとは認められない。

イ 営業課長就任後約五年間の業務((1)イ)は、原告に恒常的な休養不足・睡眠不足を生じさせ、一方で、全身血圧を継続的、反復的に上昇させて、原告の脳動脈瘤の形成をもたらすとともにその脆弱化を促進し、かつ、右業務による交感神経の刺激が脳動脈瘤の脆弱化を促進する方向に作用し、他方で、脳動脈瘤の脆弱化に拮抗する修復過程の機能を阻害してしまったものと推認される。

本件発症前約一か月間のAIN社に対する取引停止通告及び債権回収問題をめぐる代表者の確執の中で従事した業務((1)ウ)は、原告に従前以上の休養不足・睡眠不足の状態を生じさせ、高血圧状態にあった原告の血圧を更に上昇させ、脳動脈瘤の進展をもたらし、その結果、本件発症前日には、本件発症の前兆と考えられるふだんにはない頭痛を生じたにもかかわらず、長野県に出張したことにより、原告の血圧は一層上昇し、脳動脈瘤の負担が更に大きくなってその進展が早められた。

本件発症当日の業務((1)エ)、とりわけ代表者とのやりとりは、高血圧状態にあった原告の血圧を異常に上昇させ、脳動脈瘤の負担を急激に大きくしてその進展を促進し、ついにはこれを破裂させた。

したがって、これら原告の従事した業務は、いずれも、一般経験則上、自然経過を超えて脳動脈瘤を形成・進展・破綻させ、くも膜下出血を発症させる危険のある過重な業務であったというべきである。

ウ 原告には、右業務による精神的・肉体的ストレス以外に、本件発症の確たる因子は認められない。

以上によれば、本件発症は、業務に起因することが明らかである。

(二) 被告労基署長

本件発症は業務に起因するものではない。その理由は次に述べるとおりである。

(1) 業務起因性について

業務起因性が認められるためには、業務と疾病との間に相当因果関係が必要であり、相当因果関係が認められるためには、業務と疾病との間に条件関係があることを前提としつつ、業務と疾病が、当該疾病の発症が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係にあることが必要である。

当該疾病の発症に業務以外の有害因子の存在が認められる場合において、業務起因性が認められるためには、当該疾病の発症に対して、業務上の因子が他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることが必要である。特に、脳心疾患は、加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであるから、脳心疾患が業務上の疾病であるとされるためには、業務による負荷によって、脳心疾患の基礎病態である血管病変等がその自然経過を超えて急激に著しく増悪し、その結果発症したと認められることが必要である。脳心疾患の業務起因性の判断においては、右のような業務による負荷を過重負荷と呼び、当該業務による負荷が過重負荷に当たるかどうかを検討することになる。

そこで、業務がくも膜下出血の発症を来す過重負荷に当たる場合があるかどうかについて検討すると、業務がくも膜下出血の発症に寄与する場合としては、次の三つの場合が考えられる。すなわち、〈1〉 業務が直接動脈硬化又は脳動脈瘤の形成を促進する場合、〈2〉 業務が高血圧症等の基礎疾患の増悪を促し、その結果動脈硬化又は動脈瘤の形成を促進する場合、〈3〉 業務が直接動脈瘤の破綻を促進する場合である。しかし、医学的知見によれば、〈1〉については、業務が直接血管病変等を増悪させる因子となるとはいえず、〈2〉については、高血圧症等を助長する要素としては、飲酒や肥満、栄養摂取のバランス、生活習慣など多数の因子が作用するのであり、〈3〉については、脳動脈瘤の破裂は、排便、排尿、性交、前屈、起立などの日常動作の際のみならず、睡眠中にも発生するのであり、勤務中にくも膜下出血の発症が多いことを示すデータはない。もっとも、業務において、極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、急激で著しい作業環境の変化があった場合は、その結果、急激な血圧変動や血管収縮を引き起こし、血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、くも膜下出血を発症させることは、医学的に承認されている。また、日常の業務に比較して過重な業務があった場合には、時に精神的、身体的負荷によって血管病変等の著しい増悪が引き起こされることがあると考えられているが、発症に最も密接な関連を有する負荷は、発症前二四時間以内のもの、次に重要な負荷は、発症前一週間以内のものであり、これに対し、発症前一週間より前の負荷は、原則として発症に直接関与したものとは判断し難いと考えられている。

(2) 本件発症について

原告の勤務状況を見ると、時間外勤務が認められるものの、その多くは部下が会社に戻るまでの待機時間であり、これに短時間の伝票等の整理が加わるだけであって、過重な長時間労働に従事していたとはいえない。本件発症前約一か月間(二月二一日から三月二七日までの間)において、原告は、所定休日及び休暇を合わせて休みを一〇日取得しており、持ち帰り残業があったとしても、さほど負担にならない程度であったことは明らかであるから、十分休養を取ることができたと考えられる。営業業務について見ても、取引先の数は営業課員の中で最も少なく、しかも月一回程度の訪問で足りる長野県内の取引先が半数を占めており、特段過重な点は見当たらない。営業車の運転も、長野県への出張は月一回程度で通常一泊二日の日程であること、営業車の一労働日当たりの平均走行距離は一〇二キロメートルないし一四五キロメートル程度であることなどから、原告が主張するような長距離運転が常態であったとは認められない。本件発症前日の業務について見ても、原告に多大な負担をもたらしたとはいえず、AIN社との交渉も、原告の通常業務の域を出るものではなかった。本件発症当日の業務も、原告に多大な負担をもたらしたとは考えがたい。以上のとおりであって、原告が特に過重な業務に従事していたとはいえない。

他方、原告の業務以外の危険因子について見ると、原告には、くも膜下出血の主要な危険因子である喫煙の習慣が認められ、高血圧状態も長期間継続しており、肥満、常習飲酒といった高血圧を助長する要因が存在している。また、原告は、本件発症当時五三歳であり、くも膜下出血の好発年齢にあった。加えて、原告は、本件発症による入院後に閉塞性動脈硬化症を発症しているが、閉塞性動脈硬化症は、くも膜下出血同様、肥満や高血圧を危険因子とするものであることに照らせば、原告が業務から離れた後に閉塞性動脈硬化症を発症していることは、原告の肥満や高血圧が業務と関連しないものであることを強く推認させる。また、閉塞性動脈硬化症は、全身動脈硬化の一部分症なので、心臓、脳など生命に直結する合併症を高率に有するとされており、原告においても全身の動脈に何らかの硬化を伴っており、本件発症前に脳の血管にも異常を生じていた蓋然性が高い。なお、原告は、頭痛薬を常飲していたが、頭痛薬の服用も脳動脈瘤の進展・破裂に寄与していると考えられる。

右のような数々の業務以外の危険因子の存在を考えると、本件発症は、右のような危険因子ないし生体が受ける通常の要因によって、自然経過により発症したものと見るべきであり、原告の業務が前記の内容・程度であることを併せ考えれば、右業務による負荷が、右自然経過を超えてくも膜下出血発症の基礎となる血管病変等を生じさせ、又はこれを急激に著しく増悪させたものとは到底認められない。

2  争点2(本件決定の固有の瑕疵の有無)について

(一) 原告

(1) 本件決定の手続には次のような瑕疵がある。

ア 被告審査官は、原告が再三要求したにもかかわらず、被告労基署長から提出された書類等の閲覧を全くさせなかった。これは、行政不服審査法(以下「行審法」という。)三三条二項に違反する。

イ 被告審査官は、原告が再三要求したにもかかわらず、適格性のある医師による鑑定を行わず、医師としての経験をほとんど有しない浦田純一医師に意見を求めた。これは、同法二七条に違反する。

ウ 行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)八条二項一号の趣旨等からみて、被告審査官は、正当な理由がない限り、審査請求から三か月以内に決定をすべきであるのに、本件決定は、審査請求から三年半余りを経てようやく出された。このような手続遅延は違法である。

(2) よって、本件決定は取り消されるべきである。

(二) 被告審査官

(1) 本件決定の手続に瑕疵はない。その理由は次のとおりである。

ア 労災保険法三五条一項による審査請求については、行審法三三条二項の適用は排除され(労災保険法三六条)、これに代えて労働保険審査官及び労働保険審査会法(以下「労審法」という。)に手続規定が設けられているが、同法には労災保険法三五条一項による審査請求について審査請求人に関係書類等の閲覧を認める規定は存在しない。したがって、被告労基署長から提出された書類等の閲覧拒否をもって、本件決定の手続に瑕疵があるということはできない。

イ 労審法一五条一項が定める審査官の「処分」に当たる鑑定の採否、鑑定人の選定、医学的所見の収集は、専ら審査官の裁量に委ねられているものであるから、浦田純一医師に意見を求めたこと、その他の医師に鑑定をさせなかったことは、被告審査官の裁量の範囲内の事項である。

ウ いつ審理を終了すべきかは、審査官の権限と責任に委ねられており、審査請求から三か月以内に決定しなかったとしても審査手続が違法になるものではなく、また、本件決定は長期間経過後にされたものでもないから、その手続に瑕疵はない。

(2) よって、本件決定の取消しを求める原告の請求は失当である。

第三争点に対する判断

一  争点1(本件発症の業務起因性の有無)について

1  脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の概要

(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血に関する医学上の知見として、次の事実が認められる。

(一)(くも膜下出血と脳動脈瘤の破裂)

くも膜下出血とは、頭蓋内血管の破綻により、血液がくも膜下腔中に流入して起こる病態をいう。くも膜下出血の原因疾患には様々なものがあるが、脳動脈瘤の破裂によるものが最も多く、くも膜下出血の発症例全体の約五一パーセントを占めているとの報告がある。

(二)(脳動脈瘤の好発部位及び好発年齢)

脳動脈瘤の好発部位は、内頸動脈(約四〇パーセント)、前大脳動脈(約三〇パーセント)、中大脳動脈(約二〇パーセント)、椎骨・脳底動脈(約五パーセント)である。また、脳動脈瘤の好発年齢は、四〇歳代(約二五パーセント)から六〇歳代(約二〇パーセント)にかけてであるが、五〇歳代(約三〇パーセント)が最も多い。

(三)(脳動脈瘤の成因)

脳動脈瘤の成因について、現在の医学界においては、先天的に動脈の中膜及び弾力線維の発育不全ないし欠損により動脈壁に薄弱部が存在し、その部分が後天的要因によって脆弱化し、突出膨隆して動脈瘤(嚢状動脈瘤)ができるとする見解が有力である。右にいう後天的要因としては、加齢、高血圧、生活上の種々の原因による血流増加ないし血圧変動が挙げられているが、これら後天的要因は、その内容において、後記(五)の危険因子と重なるものと考えられる。また、嚢状動脈瘤については、脳底部諸動脈の、特にウィリス動脈輪前半部や中大脳動脈の近位側の分岐部に好発し、非分岐部には認めらな(ママ)かったとの報告があり、血管分岐部の特殊な構造やこれに伴う血行動態が脳動脈瘤の発生に関与していることが指摘されている。

(四)(脳動脈瘤破裂の機序)

脳動脈瘤の大きさは、直径数ミリメートルから数センチメートルに及ぶものまで様々であるが、通常は直径五ないし一〇ミリメートル前後のものが多く、年齢とともに変化・拡大する。破裂動脈瘤は、直径五ミリメートル前後のものが最も多く、非破裂動脈瘤は、そのほとんどが直径二ミリメートル前後であることから、動脈瘤が拡大し、直径四ミリメートルを超えると破裂しやすくなると考えられる。

脳動脈瘤の破裂時(くも膜下出血の発症時)の状況について二二八八例を分析したロックスレーら(一九六六年)によれば、睡眠中が三六パーセント、特別な外的ストレスのない通常の状態が三二パーセントであり、何らかの肉体的又は精神的ストレス下で発症した例は、三二パーセントにとどまり、その内訳は、排便時四・三パーセント、性交時三・八パーセント、興奮状態時四・四パーセント、せき時二・一パーセント、外傷時二・八パーセント、分娩時〇・三五パーセントとなっている。また、わが国で七四九例を調査した小松ら(一九七九年)によれば、睡眠中が六パーセント、通常の状態下が二五パーセントであり、何らかのストレス負荷時に発症した例は、六九パーセントであり、その内訳は、頭位の変動時二四パーセント、排便・排尿時一八パーセント、精神的興奮時一一パーセント、洗濯・炊事時八パーセント、入浴時七パーセントとなっている。

脳動脈瘤破裂の原因として一般に挙げられるものは、加齢による脳動脈瘤自体の脆弱化(動脈瘤壁が極限にまで薄く弱くなる。)及び血圧の関与(異常な高血圧のみならず、血圧変動自体も含む。)であって、両者の相関関係によって脳動脈瘤が破裂に至るものと考えられている。この場合、動脈硬化のような血管の変性性変化が、更に脳動脈瘤を弱め、破裂を起こしやすくするといわれているが、遺伝的因子の重要性も指摘されている。

この点に関し、原告は、脳動脈瘤破裂の要因として、血行力学的作用に加えて、脳動脈瘤の構造的強度の低下をもたらす血管壁修復作用の低下が重要であり、業務との関係では、疲労や睡眠不足により血管壁修復作用が低下し、それによって脳動脈瘤が破裂するというメカニズムが明らかにされてきていると主張し、これを根拠づける証拠として、(証拠略)を提出する。しかし、(証拠略)は、ラットを用いて脳動脈瘤を実験的に作った場合の研究結果を報告したもの、(証拠略)は、右実験結果がヒトにもあてはまるとして、ヒトにおいて脳動脈瘤の脆弱化に対する修復作用が存在するとの推論結果を報告したものであるところ、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、動脈瘤は病的機序で発生し、放っておけば進行する危険性があるものであって、ヒトの脳動脈瘤において修復作用なるものが存在することは、医学界における一般的な理解とは言い難いものであることが認められるから、原告の右主張は採用することができない。

(五)(脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の危険因子)

脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の危険因子(リスクファクター)としては、加齢のほか、高血圧、飲酒、肥満、喫煙、ストレス(過度の肉体労働、精神的緊張の持続、興奮、不眠、親しい者との離別、離婚、失業、破産等の急性ないし慢性の心身の負荷を指す。)などが挙げられる。

このうち、高血圧は、多くの循環器疾患の危険因子として第一に挙げられるものであるが、脳血管疾患では全体に影響が大きいものとされる。飲酒や肥満は、高血圧を助長する効果によって脳血管疾患一般の危険因子となることが知られている。喫煙については、非喫煙者と比較した喫煙者のくも膜下出血発症率は、男性で三倍、女性で四・七倍という報告があり、さらに、喫煙・高血圧の両方を有する場合は、これらを有しない場合と比べてほぼ一五倍も発症の危険性が高くなるといわれている。

ストレスについては、個人的、社会的、時間的変動が大きく、集団又は集団の成員について測定が困難であるなどの事情で、ストレスの影響が存在することはほとんどの研究者が容認しつつも、その寄与の程度について一般的結論は下し難い現状にあるため、ストレスの関与の有無とその程度については、具体的事例に即し、医学的知見に照らして総合的に判断せざるを得ないとされている。

2  脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の業務起因性

労災保険法に基づく保険給付は、労働者の「業務上」の疾病について行われるが(七条一項一号)、労働者が「業務上」疾病にかかったといえるためには、業務と疾病との間に相当因果関係のあることが必要である(最高裁第二小法廷昭和五一年一一月一二日判決・判例時報八三七号三四頁参照)。

そして、1の判示内容に照らして考えると、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、先天的に存在する脳動脈壁の薄弱部が後天的に脆弱化して動脈瘤(嚢状動脈瘤)が形成され、種々の危険因子の影響によって発症に至るものであるから、ある業務に従事していた者が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症した場合において、右発症が業務上のものであること、すなわち、業務と脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症との間に相当因果関係を肯定するためには、当該業務が、自然経過を超えて、急激に急激(ママ)に著しくその発症を促進させるに足りる程度の過重負荷となっていたと認定できることを要し、かつ、それで足りるものと解するのが相当である。けだし、右のような場合においてはじめて、当該業務に内在ないし通常随伴する危険が、それ以外の発症の原因と比較して相対的に有力な原因となっていたものと評価することができるからである。

そこで、以下では、原告の本件発症に至るまでの健康状態及び原告の業務内容について検討した上で、原告の業務が、自然経過を超えて、急激に著しく脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症を促進させるに足りる程度の過重負荷となっていたかどうかについて判断することとする。

3  原告の健康状態

(一) (証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 血圧及びその治療状況

原告は、入社以降毎年(ただし、昭和五九年を除く。)、会社で成人病検診を受診していたが、その際、及び後記熊谷医院で受診した際に測定した血圧値の推移は、別紙1〈略〉のとおりである。

これによれば、原告は、昭和五五年四月に会社に入社してから四か月後の同年八月二六日の時点で既に境界域血圧(WHO基準による。以下同じ。)の状態にあり、昭和五八年一〇月一八日の検診時には境界域血圧の状態を超えて高血圧状態に移行し、血圧の異常を指摘された。昭和六〇年二月には高血圧状態が一層進展したため、原告は、熊谷医院に受診し、以後本件発症に至るまでの間、同医院から継続して降圧剤の処方を受けていた。もっとも、この間の原告の血圧値は、おおむね境界域血圧の範囲内で推移しており、降圧剤服用による効果は顕著なものではなかった。そして、昭和六一年七月九日の成人病検診時には、再び高血圧状態になり、一か月後に再検査を受けるよう指示されたが、原告はこれを受検せず、同年一二月二九日に風邪のため熊谷医院で受診した際には、一八二/一〇四という高血圧値を示した。

(2) 肥満度

昭和六一年七月九日の成人病検診時における原告の身体計測の結果は、身長一六四・八センチメートル、体重七七・八キログラムであり、標準体重五八・八キログラムとの比較による肥満度はプラス三二で、肥満状態が顕著であり、本件発症当時もほぼ同様であった。

(3) その他の異常所見

原告は、前記のとおり、昭和五八年一〇月一八日の検診時に血圧の異常を指摘されたが、他の項目については、入社以降異常を指摘されることなく経過していた。ところが、昭和六〇年二月一九日の検診時における心電図検査の結果、冠硬化(左心系心筋障害)を指摘されてE判定(要二次検査)を受け、同年三月六日に行われた二次検査の結果もC判定(要経過観察、六か月後に再検査受診)であった。そして、昭和六一年七月九日の検診時には、前記のとおり、肥満度プラス三二を指摘されたほか、肝機能検査においてB判定を受けた。

(4) 飲酒及び喫煙

原告は、種類を問わず酒が好きで、週に四日程度は晩酌をし、焼酎のサワー割りをコップに二杯程度飲むのが常であり、会社帰りに同僚と飲みに行くことも少なくなく、時には無謀と見られるほど飲むことがあり、会社関係者からは酒に強い人と見られていた。

また、原告は、喫煙の習慣を有し、少なくとも一日一〇本程度は吸っていた。

(5) 頭痛

原告は、本件発症以前からしばしば頭痛があり、頭痛薬ノーシンを常備し、頭痛時にはこれを服用していた。

(6) 閉塞性動脈硬化症

原告は、本件発症から約八年経過後の平成七年四月、閉塞性動脈硬化症を発症した。

閉塞性動脈硬化症とは、腹部大動脈又は四肢の主要動脈が粥状硬化病変のため狭窄化或いは閉塞し、四肢に慢性の循環障害を起こす疾患である。動脈硬化の発生や進展は、加齢や各種の危険因子によって徐々に起こるため、症状がはっきり現れるまでに長時間を要し、病気として特定することが困難なことがある。成因が動脈硬化であることと関連して、五〇歳以上の成人に多く見られ、女性に比べて男性に好発する。本症では、全身の動脈に硬化性病変を有することが多いので、生命に対する予後は必ずしもよくない。本症の治療は動脈硬化の促進因子に対する治療と同様とされ、喫煙を厳重に禁止し、高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満があれば、それぞれの治療を行うこととされている。

(二) (証拠略)によれば、本件発症前の原告の健康状態に関して、埼玉医科大学総合医療センター・救命救急センター医師堤晴彦の意見は、次のとおりであることが認められる。

(1) 原告は、平成七年四月に閉塞性動脈硬化症を発症しており、素因として動脈硬化を起こす遺伝的因子を持っていたと推定される。また、閉塞性動脈硬化症は、全身動脈硬化の一部分症であり、心臓、脳など生命に直結する合併症を高率に有する疾病であることからすると、下肢の動脈の一部にのみ動脈硬化が発生して他の動脈には全く動脈硬化が見られない、ということは考えられない。

(2) 昭和六二年六月二六日付け旗の台脳神経外科医師沖野光彦作成の診断書には、「(くも膜下出血発症後の)経過中は、気管支炎あるいは虚血性心疾患の所見」がある旨の記載があるが、右記載の虚血性心疾患の所見は、原告の冠動脈において動脈硬化が起こっていることを示している。

(3) 原告の血圧は、昭和五五年から昭和六一年にかけて徐々に上昇しているが、(1)及び(2)に照らせば、右血圧上昇は、脳動脈における動脈硬化の進行による病気の自然経過と考えられる。

(4) 動脈硬化及び高血圧の進行にとって、喫煙は極めて悪い危険因子であるにもかかわらず、原告は喫煙を続けている。これは、同人の健康管理に対する意識の低さを示している。

(5) 昭和六一年七月九日の成人病検診時における原告の肥満度はプラス三二であり、異常である。肥満も高血圧にとって極めて悪影響を及ぼす因子である。また、原告は、肝機能障害を呈しているにもかかわらず、飲酒を続けている。これらの事実も、同人の健康管理に対する意識が極めて低いことを物語っている。

(6) 昭和六〇年二月一九日の成人病検診の際、原告は、心電図検査において左心系心筋障害の指摘を受けているが、これは、冠動脈に動脈硬化が及んでいたことを示唆する所見である。

(7) 以上のとおり、原告は、本件発症前から、高血圧症、心電図異常、肥満、喫煙、遺伝傾向(動脈硬化に関して)など、業務によるストレスの関与がなくてもくも膜下出血を発症するに足りる十分な危険因子を有していたものといえる。また、本件発症後、閉塞性動脈硬化症や虚血性心疾患を起こしたことも考慮すると、本件発症当時、既に原告の全身の血管の加齢現象が相当進行していたものと考えられる。

4  原告の業務

(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 業務内容

本件発症当時、会社の営業担当社員は、原告を含めて六名いたが、新規開拓を担当する一名を除く五名は、既存の取引先を担当する第二営業課に所属しており、原告は、昭和五七年四月以降、同課の課長として勤務していた。

第二営業課に所属する営業担当社員は、それぞれ担当する取引先を割り当てられ、会社所有の営業車を自ら運転して取引先を回り、商品の受注、納品、代金の集金を行う、いわゆるルートセールスに従事していた。原告も、営業担当社員として、取引先二三社を担当していたが、その所在地としては長野県が半数を占めており、他に、埼玉県、三多摩地区などがあった。また、原告は、課長として、部下の取引状況を把握・管理し、必要に応じてこれに対する助言・指導などを行っていた。

原告の一日の勤務は、長野県に出張する場合を除いて、通常、朝礼後、当日回る予定の取引先に納入予定の商品を営業車に積み込み、営業車を運転して取引先に赴いて納品し、必要な場合は営業の打ち合わせをするなどして夕方帰社し、取引先で受注した商品の受注伝票の作成、留守中に注文を受けた商品について業務課員が作成した受注伝票への受注金額の記入、製作加工の依頼を受けた場合の製作伝票の作成等、その日の仕事の整理をし、翌日のスケジュール計画を立て、注文内容の確認連絡をするなどの事務処理をするというものであり、右帰社後の事務処理に要する時間は、通常二〇ないし四〇分程度であった。長野県へは、月に一回程度、通常、一泊二日の日程で出張し、出張前日に会社から営業車に乗って帰宅し、翌朝は出社せずに長野県へ直行するようにしていた。

原告は、第二営業課長に就任後、右のような業務を特段の支障なく遂行していた。

(二) 勤務状況の概要

本件発症前約三か月間(昭和六一年一二月二一日から昭和六二年三月二八日までの間)の原告の勤務状況は、別紙2〈略〉のとおりである。なお、会社の勤務時間は、始業が午前八時三〇分、終業が午後五時三〇分で、所定労働時間は八時間(正午から午後一時までが休憩時間)であり、所定休日は、日曜日、祝日、第一及び第三土曜日並びに年始年末であった。従業員の労働時間の管理は、タイムカードの打刻によって行われていたが、これによれば、右期間中の原告の出勤時刻は、おおむね午前八時から八時三〇分の間であり、退社時刻は午後七時台が最も多く(三〇日)、次いで午後八時台(二〇日)、午後六時台(七日)と続き、午後九時台に退社した日は二日あるが、午後九時半を超えて残業した日はない。

右のとおり、原告には時間外勤務が見られるが、右残業時間は、前記帰社後の事務処理のほかは、部下の帰社を待つ時間に当てられた。休日に出勤したことはなく、年次休暇については、三月三日(火曜日)と同月一四日(土曜日)に取得し、本件発症前の週末(土、日曜日)は、二週間連続して勤務に就いていない。また、長野県への出張は、一月九・一〇日、二月一二・一三日、三月二七日の三回であった。

(三) AIN社について

本件発症前日の三月二七日、原告は、担当取引先の一つであるAIN社に対して後記与信取引中止の申入れをするため、日帰りで長野県に出張したが、AIN社をめぐっては、当時次のようなことがあった。

すなわち、AIN社は、代表者が開拓した取引先であるが、会社は、AIN社の紹介により、会社が仕入れた商品をシナトクに卸販売する取引を始め、原告がその担当者になった。昭和六一年一一月ころ、代表者は、AIN社から、同社自体の資金繰りのために、会社とシナトクとの間の取引について、これを新たにAIN社を介在させる形の取引にしてほしいとの依頼を受け、了承した。これは、従来、会社がシナトクから商品を受注し、シナトクから売掛金の支払を受けていたものを、AIN社がシナトクから商品を受注して会社に当該商品を発注したことにし、売掛金は、シナトクから一旦AIN社に支払われ、しかる後に会社がこれをAIN社から回収するというもので、AIN社に資金を融通する機能を果たす、与信取引にほかならなかった。会社は、この与信取引により、AIN社に対し、昭和六一年一一月に七五〇万円、同年一二月に三七七万七〇〇〇円、昭和六二年一月に三四二万五〇〇〇円、同年二月に三四二万五〇〇〇円の資金を融通したが、同年三月に入り、AIN社の信用状態に問題があるとの情報が入ったことから、代表者は、シナトクに対する売掛金(形式上は、AIN社に対する売掛金)の回収が困難になることを懸念し、AIN社を介在させることを中止して、従前どおりシナトクとの直接取引の形に戻すこと、これに伴い、会社がシナトクに納入した三月分の商品の売掛金は、会社が直接シナトクから回収すべきところ、既にAIN社がシナトクから回収していることが判明したため、改めて会社がシナトクから回収すること、以上の二点をAIN社に申し入れる必要があると考えた。そこで、代表者は、原告に対し、三月中を目途にAIN社に右申入れをするよう指示し、具体的な日程については原告の判断に任せた。

(四) 本件発症前日

原告は、代表者の指示を受けて、AIN社に対して前記内容の与信取引中止の申入れをするため、三月二七日に長野県に出張することにした。ところが、当日の朝、原告が頭痛を訴えたため、これを心配した妻小川美嘉(以下「美嘉」という。)は、原告に代わって自家用車を運転し、原告を同乗させて長野県に行くことにした。前記のとおり、原告は、長野県に出張する場合、出張前日に会社から営業車に乗って帰宅し、翌朝は出社せずに長野県へ直行することを例としていたが、三月二六日は、業務終了後に飲酒したため、営業車を会社に置いたまま電車で帰宅し、翌朝営業車を取りに一旦出社してから長野県に行くことにしていたので、原告は、午前八時ころ会社に電話をかけ、電話に出た角田善彦第一営業課長に対し、「まだこちらにいる。昨日飲んじゃって。社長と打ち合わせてから行く予定であったが、直行する。また後で電話をする。」と言って電話を切り、頭痛薬ノーシンを服用して、美嘉の運転で午前九時ころ自宅を出発した。道中、原告は寝て休んでいたが、途中のサービスエリアで昼食を摂り、諏訪インターで中央高速道路を下りた後、美嘉を降ろして自ら自家用車を運転してAIN社に向かい、午後一時半ころ同社に到着した。

原告は、AIN社の中西に対し、シナトクとの取引について、与信取引を中止し、従前どおりシナトクと直接取引する形に戻したいとの会社の意向を説明したところ、中西は、AIN社の信用情報が会社に伝わっていることを事前に承知していたこと、数日前に代表者からあった電話の内容などから、原告の話の趣旨を理解し、すぐに原告の提案を了承した。この間に要した時間は約三〇分であった。なお、代表者が原告に指示していた内容は、AIN社に対し、与信取引を中止すること、これに伴い、シナトクがAIN社に支払済みの三月分の売掛金を改めて会社がシナトクから回収することを申し入れることであったが、原告は、与信取引を中止し、以後のシナトクとの取引については、直接シナトクから売掛金を回収することでAIN社の了解を得たものの、三月分の売掛金は既にシナトクがAIN社に支払済みであり、AIN社から回収することが可能であると思い、シナトクから回収し直すことをAIN社に申し入れることはしなかった。

その後、原告は、シナトクに立ち寄り、同社の赤坂昌清常務取締役と約三〇分間会った後、諏訪市に戻って美嘉と落ち合い、夕食を摂った後、原告が車を運転して中央高速道路を経由して帰路に付き、午後九時ころ帰宅した。

(五) 本件発症当日

翌三月二八日、原告は、午前八時二一分に出社し、年二回定期的に行われる商品の棚卸し作業に従事し、午後五時ころその作業を終えた。その後、原告は、会社事務所の自席に着席し、午後五時四〇分ころ帰社して原告の席の隣りにある自席に着席した代表者に向かい、「AIN社がシナトクから回収した三月分の売掛金を、改めて会社がシナトクから回収することは困難である、今回の分(三月分)だけは、AIN社から回収できる。」旨の報告をした。

これに対し、代表者は、原告の報告内容が先に指示した内容と異なるものであったことから、一緒にもう一度話をつけにAIN社に行くことを提案したところ、原告は、ネクタイを緩め、やがて顔色が優れなくなり、「少し休ませて下さい。」と言って事務所を出て行った。この間、両者のやりとりは普段と変わりなく平穏に行われ、原告も代表者も大声を出すことはなく、また、口論になるというようなこともなく(代表者(昭和二九年八月生)は当時三二歳で、約二〇歳以上も年長者であった原告に対して、それなりの礼をわきまえた話し方をするようにしていた。)、これに要した時間は五分ないし一〇分程度であった。原告は、しばらくして事務所に戻ってきたが、「気持ちが悪い、頭が痛い。」と訴え、顔色が悪かったため、代表者が救急車を手配し、旗の台脳神経外科医院に搬送された。その結果、同病院で、CTスキャン及び脳血管撮影により、右中大脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血(本件発症)と診断された。

5  本件発症の業務起因性の有無について

(一)(1) 前記3で認定したところによれば、原告は、会社に入社した昭和五五年当時から既に高血圧傾向にあり、昭和五八年一〇月には高血圧状態に移行したが、その後昭和六〇年二月までの間、高血圧の治療を受けるなど、血圧の適切な管理を怠っていたこと、昭和六〇年二月に初めて高血圧に関して病院で受診し、以後本件発症に至るまでの間、継続的に降圧剤の処方を受けてはいたものの、その後も血圧値が正常範囲内で安定することはなかったが、これは、喫煙を続けたほか、飲酒量を控えたり、食事制限をするなど、適切な血圧管理を行わなかったことによって、降圧剤服用による治療効果が減殺されたためと考えられること、昭和六一年七月の成人病検診時には、高血圧のため一か月後に再検査を受けるよう指示されたものの、原告はこれを受検せず、また、その際、肥満度プラス三二という異常な数値や、肝機能障害の指摘も受けながら、その後も、禁煙をしたり、飲酒を控えることもなく、血圧管理を適切に行っていなかったこと、原告は本件発症当時五三歳で、脳動脈瘤の好発年齢にあったこと、以上の諸点を指摘することができ、これによれば、本件発症に至る相当以前から、動脈壁ないし動脈瘤の脆弱化がかなりの程度に進行していたものと推認される。

(2) 他方、前記4で認定した事実によれば、昭和五七年四月以降本件発症時までの約五年間、原告は終始一貫して営業課長としての業務を特段の支障なく遂行していたこと、その主な業務内容は、営業車を運転して既存の取引先を回り、商品の受注、納品、代金の集金を行うというもので、長野県への出張業務もあるものの、日程は一泊二日と余裕があり、定期的な業務として予定された仕事で、回数も月一回程度にとどまること、その勤務状況も、日常的に残業があったものの、おおむね午後七時ころから九時ころまでで、残業時間は、事務処理を二〇分ないし四〇分かけて行うほかは、部下の帰社を待つ時間に当てられており、それ以上に、特に肉体的、精神的疲労を蓄積させ、これを休日等の取得によって回復することができないような過激な仕事に就くということはなかったといえること、本件発症前日の業務は、長野県への日帰りの出張であり、出発前は頭痛のため体調不良であったが、往路の大半は、美嘉に運転を任せたまま車中で寝て休み、AIN社に対する与信取引中止の申入れも容易に受け入れられ、帰路は体調も回復して自ら車を運転して午後九時ころには帰宅し、特に肉体的、精神的負担となるものではなかったこと、本件発症当日の業務も、棚卸し作業は年に二回定期的に行っているものであり、AIN社の件に関する代表者に対する報告も平穏に行われ、その内容も、営業担当社員の社長に対する報告業務として、通常の業務の域を出るものではなかったものといえることが明らかである。

(3) 以上の事情を総合考慮すれば、本件発症当時の原告の業務が、自然経過を超えて、急激に著しく脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症を促進させるに足りる程度の過重負荷となっていたものと認めることはできないというべきである。

(二) 原告は、ルートセールスの業務は、売上げのノルマ達成のプレッシャーの下で、毎日八時間以上の長時間にわたり一五〇キロメートル以上に及ぶ長距離運転をするもので、商品の積み込み、積み卸しも含め、肉体的負担が大きかった、帰社後の事務処理を時間内にこなすことができず、しばしば伝票類を自宅に持ち帰って作業をしていた、営業課長としての業務による負担、すなわち、部下とともにその担当地域を回ったり、しばしば生じる退職者の得意先を他の営業課員に割り当てる作業があったなどとして、営業課長就任後約五年間の原告の業務は過重なものであり、原告の高血圧傾向ないし高血圧状態は、営業課長就任後の業務が過重であったためであると主張する。

しかし、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、一日当たりの走行距離は、長野県に出張する場合を除けば、一二〇ないし一三〇キロメートルであったこと、営業車(最大積載量四〇〇キログラム)への商品の積載量は、平均すると一〇〇ないし一五〇キログラムであり、通常取り扱う商品は最も重いものでも一個当たり三〇キログラム前後であったこと、営業車への商品の積み込みについては、倉庫の作業員が倉庫の入口まで出しておいたものを、営業担当社員が倉庫の入口まで営業車を寄せて積み込む方法で行われていたこと、取引先での商品の積み卸しについては、東京近郊の取引先では車を置くスペースがないことが多いため、営業担当社員が自ら運ぶ必要がある場合が多いのに対し、地方の取引先の場合は車を停めておくスペースに余裕があるところが多いので、取引先の倉庫の入口まで営業車を寄せて商品の積み卸しを行うことが多いところ、取引先に地方の会社が多い原告の場合は、おおむね後者のような方法で商品の積み卸しを行っていたこと、以上の事実が認められ、これによれば、原告の従事したルートセールスの業務自体が特に肉体的に過重な負担となるものとはいえない。

また、先に認定したとおり、退社後の事務処理に要する時間は二〇ないし四〇分程度であるから、たとい、時に伝票類を自宅に持ち帰って作業することがあったとしても、さほど負担になるような作業量であったということはできない。

営業課長としての業務による負担があったとの点については、確かに、自らの担当取引先のみならず、部下の取引状況を把握・管理するなどの業務があったものの、その一方で、(証拠略)によれば、右の負担を考慮して、原告の取引先については、他の営業担当社員のそれと比べて、数にして最も少なく、しかも、その半数以上が長野県内に集中しているなど、それなりの配慮がされ、取引先の管理はしやすかったことが認められるから、原告の業務を全体としてみれば、業務による負担が過重であったということはできない。

もっとも、ノルマについては、(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、前期実績に一〇ないし一五パーセントプラスした売上目標が設定され、毎月の営業会議の席上成績発表が行われていたことが認められるが、売上目標が達成できない場合に何らかのペナルティーを課されるなどの不利益を受けることはなかったことが認められるし、一定の売上目標が設定されてその達成状況が管理されるのは、営業担当者として通常のことと考えられるから、右の程度の売上目標管理が行われたからといって、これをとらえて過重負荷を構成するものということはできない。

(三) また、原告は、昭和六二年二月末か又は三月初めころから、原告と代表者との間で、AIN社に対する取引停止通告及び債権回収問題をめぐって確執が生じており、本件発症前日は、普段にない激しい頭痛を生じながら長野県に出張するなど、本件発症前一か月間の業務は過重なものであった旨主張する。

(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、AIN社の中西から長野県における営業活動を推進する上で便宜を図ってもらっていたため、同社に対して与信取引中止の申入れをすることは気が進まなかったことが認められるが、原告の内心における代表者に対する不満の気持を超えて、両者の間で表立った確執ないし対立関係が生じていたことを認めるに足りる証拠はないし、原告は三月三日(火曜日)と同月一四日(土曜日)には休暇を取得しており、本件発症前の週末(土、日曜日)は二週間連続して勤務に就いていないこと、本件発症前日のAIN社に対する与信取引中止の申入れも容易に受け入れられたことなど、先に認定した原告の勤務状況に照らせば、原告が右のような不満の気持を持っていたからといって、その当時従事した業務が精神的、肉体的に過重な負荷になったということはできない。

(四) さらに、原告は、本件発症当日の業務、とりわけ代表者とのやりとりは過重な業務であった旨主張する。

なるほど、先に認定した事実によれば、代表者とのやりとりにおいて、シナトクがAIN社に支払済みの三月分の売掛金の扱いについて、代表者と原告の考え方に食い違いがあることが判明したこと、そのため、原告がせっかく長野県に出張して中西と交渉してきたのに、再交渉を提案されることとなったのであるから、原告がこの経過について失望の思いを抱いたことは、推測に難くない。

しかしながら、仕事上、部下と上司との間で意見の食い違いが生じることは往々にしてあることであるし、代表者と原告とのやりとりが普段と変わりなく平穏に行われたことから見て、たとい代表者に対する原告の内心の反応が右のようなものであったとしても、それによって、代表者に対する右報告業務が過重な負荷になったということはできない。

(五) なお、証人上畑鉄之丞は、本件発症当日、仕事に行かずに病院に行って手術をすれば、本件発症に至らなかった可能性がある旨証言する。しかしながら、(人証略)及び弁論の全趣旨によれば、本件発症前夜、原告が長野県への出張から帰って来た時点において、原告と美嘉との間で、病院への受診を急ぐといった類いの話題は全く出ていないこと、本件発症当日の朝は、原告の体調不良感は相当程度改善していたことが認められ、右事実からすると、原告は、本件発症当日、右発症前に病院に受診する必要性があると考えていたものと認めることはできない。したがって、右事情の下では、原告が病院に受診するという選択をする蓋然性はなかったものというべきであるから、右証言はその前提を欠き、採用できない。

6  結論

以上の次第で、本件発症は業務に起因するものとはいえないから、本件処分に違法はない。

二  争点2(本件決定固有の瑕疵の有無)について

1  行審法三三条二項は、審査請求人は審査庁に対し処分庁から提出された書類その他の物件の閲覧を求めることができる旨定めているが、労災保険法三六条は、行審法第二章第一節、第二節(一八条及び一九条を除く。)及び第五節の規定を適用しない旨定めているから、同法三三条二項の規定は、労災保険法三五条一項による審査請求に適用されないことが明らかである。そして、関係法令上、他に、労災保険法三五条一項による審査請求について、審査請求人が処分庁から提出された書類その他の物件の閲覧を求めることができる旨定めた規定は見当たらない。したがって、被告審査官が、原告に対して、被告労基署長から提出された書類等の閲覧をさせなかったこと(右事実は当事者間に争いがない。)をもって、本件決定に瑕疵があるということはできない。

2  労災保険法三五条一項による審査請求における鑑定については、行審法二七条は適用されず(行審法二七条は、労災保険法三六条が適用を排除した行審法の関係規定中に含まれる。)、労審法一五条一項三号が適用されるが、同項に定める処分は、審査官が「審理を行うため必要な限度において」行えば足りるものであるから、このことにかんがみると、鑑定人に鑑定をさせるかどうか、鑑定人に鑑定をさせることをせず、参考人から意見又は報告を徴するにとどめるかどうか、といった具体的事案における証拠資料の収集方法の選択については、審査官の裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。本件では、被告審査官が浦田純一医師に意見を求め、その他の医師に鑑定をさせなかったこと(右事実は当事者間に争いがない。)が、社会通念上著しく妥当性を欠き、審査官にゆだねられた右裁量権を濫用したものと認めるに足りる証拠はない。

3  行訴法八条二項一号の規定が、審査請求から三か月以内に決定(裁決)をすべき旨定めたものと解することはできず、関係法令上、他に、審査請求から三か月以内に決定をすべきことを定めた規定は見当たらないから、本件決定が審査請求から約三年半後にされたこと(右事実は当事者間に争いがない。)をもって、これを違法とすべき根拠はない。

4  以上のとおり、本件決定について、固有の瑕疵を認めることはできない。

三  結論

よって、原告の本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(口頭弁論の終結の日 平成一一年二月二四日)

(裁判長裁判官 福岡右武 裁判官 飯島健太郎 裁判官 西理香)

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